今回のテーマ
モノが捨てられない、断捨離が進まないと思った時に思い浮かべてみてほしい話をします。
いきなりジェシーって?
それはどういう意味か話を聞かせてもらおうか
ジェシーはモノ代表の例え。あなたが特別な思いで手に入れたモノと置き換えて考えてみてください。
ディズニーアニメ映画トイストーリー2に出てくるカウガール人形のジェシー。持ち主が幼かった頃友だちのようにいつもどんな時も一緒に過ごしていたのに、成長とともに存在すら忘れられ最後は捨てられる、という辛い経験をした女の子。
あなたにもそんな特別な存在のモノ、ありませんか?
今回はモノを大切にするとはどういうことなのか、についてジェシーの気持ちになって考えてみようという試みです。
今使ってないからと言って思い出の詰まりすぎた宝物のような存在を捨てろと言うつもりは絶対にありません。むしろ大切にすべきです。
じゃあ大切にする、ってどういうことなんだろう?
モノを残す・手放すという選択の連続作業は精神的にも体力的にもエネルギーをものすごく消費しますよね。捨てて後悔はしたくないしなかなか決められない。
できることならモノを捨てるのはイヤだ。欲しいものは手に入れて自分のそばに置いておきたい。
その気持ちもよくわかります。それと同時にモノがどんどん増えていって後悔することもあるはず。
そんな時におすすめしたいのが「擬人化して考えること」です。
モノの気持ちになって考えてみるともしかしたら心がチクチク痛むかもしれませんが、それは気づきの良いきっかけです。
ぜひジェシーの存在を想像しながら最後までおつき合いください。
家の中にあるモノ・ストーリー。彼らのものがたりを想像してみる
タイトルになぜトイストーリーの登場キャラの名前が出てきたのか謎だと思うのでそれについて解説していきます。
トイストーリーの登場人物であるおもちゃは私が今思う「モノ」の象徴としてわかりやすいかなと思ったからです。
↓ぜひ音源を聴きながらものがたりを思い出してみてください。
主人公のウッディはアンディという少年が大事にしているカウボーイ人形。あることがきっかけでウッディはカウガール人形のジェシーと出会います。
ジェシーにもかつては大好きだった持ち主がいたけれど成長とともに忘れ去られ埃をかぶり、最後は段ボールに入れられ手放されます。縁あって今はコレクターの手に渡り(実はウッディたちは昔大人気だったレアアイテムらしい)博物館に飾られる時を待っている。
一緒に博物館に行こう!というジェシー。対するウッディは「俺たちおもちゃは遊ばれるためにいるんだ、飾られるためじゃない」と反抗します。
ジェシーにはかつて捨てられた経験があるのでもう二度とあの時の思いをしたくないと言います…。
ここでなんとも切ない歌のシーンが流れるんですよね。
When She Loved Me
愛されてた 楽しい日々が 今も胸の奥に 生きてる
悲しみは 癒してあげた 喜びは ふたりで分け合う・・・
(続く)
When She Loved Me日本語版 歌詞より
自分が持っていたモノたちはどんなことを考えているんだろうか?ファンタジーではあるけれどそんなことを想像してしまいます。
これは思い出が詰まったモノなので余計に様々なことを考えてしまうけれど、実は日用品や使用すらされていない消耗品たちにもなにか感情があるのかも?
片付けコンサルタントで世界的にも有名なこんまりさんこと近藤麻理恵さんの本にもありますが、モノを一つひとつ手に取って触って向き合うことで、そのモノがどんなことを考えどんなことを望んでいるのか伝わるかもしれません。
人は変化していくもの。ほったらかしの監禁は愛情にあらず
モノは何かしらの役割があって自分の手元にやってきたはず。役割には広い意味があって、鑑賞する(飾って見る)だけでもそれは持ち主の心を動かすときめきを与えてくれるならそれは立派な役割です。
縁あって自分のもとにきたそのモノが自分に与えてくれた喜びは今も続いているかな?それとも過去に充分受け取って今はもう見向きもされていない状態なのかな?
そうやって向き合うことで久しぶりにそのモノの存在を思い出し、なんやかんや懐かしみ「それじゃ、とりあえず…」と結局また元の箱に戻して奥に押し込まれてしまったりすることがあります。
気まぐれに久しぶりの再会を楽しんでおきながら、結局また暗く日の当たらない所で監禁するのかい
果たしてそれでそのモノは喜ぶんでくれるでしょうか。大事にされてると感じるでしょうか?
例えばこれ。うちにまだ残していたトイストーリー2のビデオテープです。
明らかにもう使わないし使えないですね。VHSを再生できる機器がないので。だけれどもなぜ今まで捨てられずにここにあるのか。
原因はいくつかあります。
息子のためにおばあちゃんがプレゼントとして贈ってくれた、という思い出があるから。
長い間観ていなかったにも関わらずこれを目視することもしてなかったから(忘れられた存在)
少し前にもこれが入った引き出しを開けたのに手に取って真剣に向き合わなかったから。
思い出があるのは間違いないですが、持っているだけで決して大事にしているとは言えない状態ですよね。なんならトイストーリー2は別の方法でいつでも視聴は可能です。テープの存在意義が全くありません。
ここで選択すべきことは2つ。
思い出の品として残すか、役割を果たしてくれた過去に感謝して手放すか。
私の中ではもう決まっています。そしてそのタイミングは今でなくても良かった。もっと早くて良かった。このVHSのテープを擬人化して気持ちを考えてみよう…
ごめんなさい。大事にしてなかったよね。
新鮮な空気に触れることもなく暗い場所でずっとただ持ち主が思い出すその時を待っているだけの一生は悲しすぎます。いつか、いつかは…と私たちは思うけれどそのいつかはおそらく一生来ない確率の方が高いです。
それならば早いうちに次の進路を決めてあげた方がその子にとっても幸せだったのかなぁと今頃反省してしまいます。私自身もモノの立場なら早めに別れを告げられた方がまだマシかも。
大好きなんだ。ずっとそばに置いておくよ。と言いつつ相手にもしてあげないのは愛情ではないと思うし、そんな男はごめんです(笑)
ちなみにトイストーリー2ではウッディたちは飾られるだけの人生を否定しましたが、実際には飾って保管されるという選択肢もアリだと思います。それも立派な役割ですよね。
あなたが様々な思いで過去に手に入れたモノたち。今はどうしていますか?
ディズニー作品を見るにはDisney+ (ディズニープラス)以外に
トイストーリー2はU-NEXTまだ利用したことない方はこの機会に利用してみては?
モノにも旬がある。過去は過去。今自分を喜ばせてくれる存在はなに?
先ほどの動画で流れた曲を聴いてしまうと思い入れのあるものは捨てられない、と思って涙してしまいますね。
とはいえ、私たちはもう変わってしまった。いい意味でね。前に進んでいるわけです。
捨てられない程大事にしていたからと言って、またあの頃のように扱えるのか?と問われれば無理と言わざるを得ない。
あなたにはもうすでに今を楽しませてくれる別の存在がいるはずです。
元カレに対して「今カレ」のような存在が
もちろんたまには元カレの思い出に浸ってみるのもいいでしょう。懐かしむことで今の自分が元気になるならいつも見えるところに置いておくのがいいですよね。
自分にとってどんな存在かわからない。決められない。ただ持っているだけでなぜか安心する。
さまざまな思いがあるかもしれないけれど、一旦奥にしまい込んでしまえばまた忘れられた存在になるだけ。
持ち続けていても空気の触れないところにずっとしまい込んでいるのは大事にしているとは思えません。
いつでも触れるところに置いてあげてもいいと思えるほどその「モノ」に価値があるなら絶対に手放すべきではないです。物体として残さなくても写真にして残すだけでも時々懐かしむことができるなら、それもまた良い選択肢かな?と私は思います。
思い出のモノを整理するのは正直相当頭を悩ませます。整理するなら一番最後にやるのがおすすめです。こんまりさんもそのようにおっしゃっていますね。
モノを増やしてしまう&捨てられない人の行動習慣の記事も書いています。よければ参考にしてみてください。
おわりに
人は何かしらの限度やマイルールを決めないとどんどんモノを持ち続けてしまう傾向があるみたいです。
ここで最後にもう一度、モノを擬人化して考えてみましょう。
あなたは縁があってご主人の手に取ってもらえた「モノ」です。
いつまでご主人に使って喜んでもらえるだろう。
一度しか使われていないのにそのまま箱の奥でじっと待っているだけはイヤだよ。
ねえ、忘れてない?大事にしてよ。
使ってもらえないなら別のご主人のところへ行かせて…
忘れられて放置、が一番キツイかな?と私は思います。
どこかで粗品としてもらったタオルでさえ「いつか使えるから」と使われずにしまわれているのは不幸だと思っているかもしれませんよ。
両手に抱えきれないほどのモノたちを手に入れても、最後自分が死んでしまったら残されたモノはただの不用品。あの世に持っていくことはできません。
残されたモノたちやご遺族が困らないように、モノの扱い方を見直してみてはいかがでしょうか。
大切に残したいモノの量を決める
残すなら使う・飾るなどしてモノが喜ぶ道を…
すぐに判断できないなら期限を付ける
手放す時がきたら必ずモノに感謝を伝える
新しくモノを買う前に本当に自分が喜ぶのか考える
買った後のことも考えておく
どれか一つだけでも意識してみると、あなたもモノたちも喜ぶ結果になるはずです。
ちなみに最近、人生に大きな影響を与えてくれたアーティスト(すでに自分の中で旬は過ぎてしまった)のCDジャケットをアートとして飾りたいな、という企みでわたしの頭はいっぱいです。
コメント